遥か西から

イスタンブールに留学中の大学生のブログ 帰ってきました(トルコに)

2019年01月

負の遺産であるアウシュビッツ博物館を訪れた後
ポーランドからスロバキアへと向かいます

クラクフはポーランド南部の街なんですが
ポーランド・スロバキア間って山でしかない。
道が山を避けるように走っているので
ヒッチハイクも難しくなるかと思っていました

この時は電車を使って 
一番効率のよさそうなガソスタに向かいました
いつものように声をかける 一発目
近くの高速わきのガソスタまで連れて行ってくれるらしい
早。 1分かかりませんでした

2台目は子連れのお父さん
娘さんをスキーに連れていく途中だったらしく
目的地の近くまで行くらしかったので乗せてもらいました
僕の目的地のスロバキアのPopradという場所を伝えると
なんでそこ行くの?なんもないよそこと言われ
それよりポーランドのザコパネに行きな!とアドバイスを頂いたので
なるようになるさ精神でザコパネへと向かいました
なんでも山中にある湖が凄いきれいなんだとか

しかし季節は1月 真冬 そして雪
山間の小さな集落であるザコパネは
もうほんとに雪 ひたすら雪
お家がかわいい なんでもザコパネスタイルと呼ばれる
建築様式らしいです そのまんまかよ

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このシーズンはスキースノボなどウインタースポーツが賑わってるらしく
珍しく大盛況の街


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ザコパネスタイル 急傾斜の屋根が特徴的

例のごとくホステルを探し
その日はとりあえず何もせず眠りにつき
次の日の湖雪山登山に胸を躍らせていました

そして起きるとなにやらリビングが騒がしい
二人組のアジア人の女の子がチェックインを手続きをしていました
Where are you from?と話しかけられたのでJapanと答えると
二人は韓国から来た大学生 しかも21歳 同い年
なんでも俺の事韓国人だと思って声をかけたとか
僕いつも海外旅行に行くと少なくとも日本人には見られなくて
いつも韓国人だと思われます
本場の人騙せるくらいだからよほどなのかな

しかもこの二人もその湖に行く途中だったので
生き方があまりわからなかった僕も同行してついていくことに
二人ともあまり英語が話せなかったので
たどたどしく会話しつつの道中

バスに揺られること1時間くらい
雪山のふもと 登山口につきました
この日はすごく雪が降っていました もう視界真っ白

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でも山はほんとに綺麗
これまで建築物しか見てこなかった僕の目を潤すように
自然の美しさがなだれ込んできました

そんなこんなで
2,3時間雪山を歩き続け
ついに待望の湖とご対面!!

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雪!!


いやもう当然のごとく雪
そりゃそうだよね 凍ってるよね湖
ちなみに夏はこんな感じらしい 全然違うわ
Panorama-Morskiego-Oka


凍った湖の上に雪が積もってもうただの銀世界でした
銀というか白 日光がないので輝きを放たない
とりあえず写真は撮っておく

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これ湖の上です バリバリ凍ってます バリバリ積もってます

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今朝の女の子二人と山道で合流した韓国人のお母さん
子どもを連れてここまで来ていました
常にふてくされていたけれど…

3時間の徒労を少し無駄にされた気分でしたが
まぁ楽しかったのでよしとします
下りは割と楽でした

帰りのバスの中 もうつかれてぐっすりでした
遊び疲れて眠るでかいおっさん21歳
僕は寝るときめっちゃ敏感で
誰かが部屋に入る音一つで目が覚めるんですが
このヒッチハイクを始めてから快眠が過ぎる
心身共にすり減らしまくってます

ホステルに着くと 女の子二人組が
韓国料理を作ってくれました
名前なんて言ったか忘れたけど おいしかった

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鶏肉と辛いスープ

この日のホステルは人が多かったことを覚えています
ブラジルから来た親子二人
ポーランド人一人
日本人一人 韓国人二人
ポーランド語と韓国語
ポルトガル語を少し教えてもらいます
どの人と会っても
この手を使えばだいたい仲良くなれる気がします
自分の国とか文化のことを伝えられることを
嬉しいと思うのは誰でもいっしょなのかな

楽しくリビングを囲んだ後
疲れた体をベッドまで運びます

アウシュビッツのこともあって
僕はそれまで自分の中にあった固定観念みたいなものを
考えていました 韓国のことです

正直 僕はこれまで見てきたメディアのイメージ
数々の韓国の行動から 韓国はあまり好きではありませんでした
心のどこかで苦手なイメージがずっと付きまとっていました

アウシュビッツで向き合うことの大切さを痛感し
ふわっと考えていた先にこの出会いがありました
包み隠さず言えば 一緒に湖に行こうと誘われた時も
あまりいい気はしなかった 韓国人だったから

でも一緒に雪山を登ってみたら
いい人たちだった 途中で会ったお母さんは
お腹すいてるでしょうとパンをくれた
お母さんの子どもは 人見知りしながらも
一緒に雪合戦をして 楽しい時間を過ごした
嫌っている対象であるはずの日本人の僕を
道がわからないなら一緒に行こうと誘ってくれた

自分が恥ずかしくなった
メディアで見てきた
批判されている国の人々は
僕にとてもよくしてくれている

確かにレーザー照射だったり
領有権の問題だったり
嫌いになる要素はたくさんある
でもだからと言って韓国人全員が
日本を嫌いなわけがない
一部の過激な人がそういったイメージを拡散させて
偏った韓国人像を信じ込んでしまう 僕みたいに

物事は一つの側面からだけじゃ見て測れない
いつもテレビで、twitterで、ネットでみる情報は
本当に一部のものでしかない
何が真実かは自分で決めること

少なくとも今僕は、韓国人が好きです
それがこのヒッチハイクで得て僕が決めた真実の一つ

今はまだ両国バチバチの関係だけど
いつの日か手を取り合って
渡り合っていける日が来ればいいと
そう思わせてくれた一日でした。

そして翌日
お次はスロバキアの首都
ブラチスラバへと向かいます
顔面に痛いほど突き抜ける雪風の中
ヒッチハイクを続けるおじさんの命運やいかに

読んでいただきありがとうございました!

無事にポーランドはクラクフへと到着し
泥のように眠った後 クラクフの街へと飛び出します

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織物会館と呼ばれる建物 ポーランドでは織物産業が盛んだったとかそうじゃないとか

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中はこんな感じになってて お土産たくさん買えます


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織物会館がある広場にある教会
今まで見た教会の中で段違いに天井が綺麗


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ポーランドは割と物価が安かった印象 
これで80~100円くらい 安くない?


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クラクフ城 やっぱり冬だと観光客もまばら
中は博物館になっていて入ることができます

こんな感じで初日は観光を満喫
特に何もなく終わりました
しいて言えばホステルがおっさん臭すぎる
あとなんであなたたち裸で寝るの?

クラコウに来た目的は
ユダヤ人虐殺の地であるアウシュビッツに行きたかったから
もともと第二次世界大戦にめちゃめちゃ興味があるとかではないんですが
いつか行きたいなと思っていたところなので
ほんとにふわっとしたような動機です

日本人で唯一のガイドの中谷さんという方がいるんですが
その方に事前に連絡を取り 手配をしていたので
この観光の次の日に向かうことに

最寄りのバスターミナルに向かい 
バスでアウシュビッツへと向かいます
中々に複雑でしたが 無事チケットを購入し
1時間ちょっとかけてアウシュビッツ博物館へ

このアウシュビッツ(Auschwitz)
ポーランド語だとオシフィエンチム(Oświęcim)
と呼ばれるらしく バスターミナルの表示でも
Oświęcimの文字をよく見かけた気がします
ドイツ人が発音しやすいようにアウシュビッツって
聞こえたままの音をそのまま使ったみたい
全然似てない気がするけど

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アウシュビッツの入り口 今はレストラン お土産屋さん
荷物検査の入り口になっていますが
昔は連れてこられたユダヤ人たちの選別場所だったらしい
もともとこの強制収容所はドイツがポーランド侵攻した際に
ドイツへの反対勢力を収容する政治犯収容所だったのですが
ポーランドにはゲットーと呼ばれるユダヤ人集住地区が多く
ナチスドイツ最大のユダヤ人収容所へとなったそうです


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記念碑 詳しく読んでなかったのですが
各国からの協力声明みたいな感じでしょうか

後程ガイドの中谷さんと合流し
アウシュビッツの中へと入っていきます
ちなみに入館料はタダです
ただ荷物はA4サイズ以上のものは持ち込めないそうで
お金を払って預けないといけません
中谷さん曰く「君のやつちょっと危ない」
と言われたのですがセーフでした
「絶対アウトだったよ ラッキーだね」
とのことでした ラッキーです。

僕はもともとツアーは嫌いなタチです
旅行に来てるとき自分の行動を制限されるのが嫌いで…
しかしこういう何かを学ぶときは
博物館についている説明文だけでは不十分なので
30€払ってガイドをお願いしました
わりとポンポン進んだので写真はあまりとれなかったかなぁ
でも払っただけの価値はあったと思っています

このツアーは 虐殺の凄惨さを伝えることももちろんですが
それ以上にこの失敗をどうこれからの社会に活かしていくか
というテーマの上で中谷さんがいろいろと設問を用意してくれます
授業みたいな感じではありません 必ずしも答えなくていいですし
僕が行ったときは僕含めて4人のツアーだったのですが
小人数ということもあって色々突っ込んだ話をしてくれましたし
今問題になっている韓国との徴用工の問題とも絡めて話してくれました
ただもし行くのであればある程度事前の知識があった方がいいかも
僕はちょっと置いて行かれ気味でした 新聞読まなきゃね

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収容所の一部 こんなのがずらーっと並んでいます
手前にあるのは電流の流れる有刺鉄線
余りの辛さに自らここに飛び込む人もいたそう

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ガス室 ここに「今からシャワーを浴びる」と言われ連れてこられたユダヤ人たちが
収容され 殺虫剤(チクロンBという薬剤)をまかれ虐殺されたそうです
天井には散布用の穴がついていました
見えにくいかもしれませんが 手前には着火禁止のマーク
ガスの名残がまだあるのでしょうか

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同じ建物の奥の方にあるのが 死体用の焼却炉
死体の後始末などのグロテスクな行為はドイツ兵に精神的な悪影響を与えるとされ
全てユダヤ人に押し付けていました
同胞が殺され その処分も同胞が行う 残虐極まりない
人間に的な悪影響を与えるということを知った上で
ホロコーストを行う危うさを感じます


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殺虫剤や焼却炉を納品した企業の納品書
この企業がホロコーストを知っていて納品したかどうかは「わからない」とのこと
用途自体は日常の生活の中にも使われるもののため
知らないで納品していてもおかしくない
ただこれほど大規模な虐殺があったうえで「知らない」で突き通せるのか?
戦後多くのこうした企業は知らないで突き通していますが
それの真偽を証明できるものはもうないのです

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連れてこられたユダヤ人たち。 シャワーに行くと命じられついていくが
どうなるかはおそらく彼ら自身も知っている それでも行くしかなかった
拒否する権利なんてなかったから

戦後しばらく 少なくとも冷戦が終結する1989年までは
ホロコーストは社会的なタブーとして扱われてきたそうです
しかしその後は社会的に向き合う姿勢が主流となり
この博物館はその象徴となったとか

なんとなくヨーロッパを放浪してて
宗教に対する考えの違いが浮かび上がった気がします
きっとヨーロッパの人たちにとって宗教というのは
アイデンティティの一つであり それ一つで
自分の立ち位置を決めてしまうほどの強いインパクトを持つものなのだと

以前「初対面の人にいきなり宗教を聞くのはタブー」
とトルコ人の友達に言われたことがありましたが
この博物館を訪れたときに腑に落ちました
敵対してしまうかもしれないんだね 返答次第で

僕たち単一民族国家に生きる日本人にとっては難しいかもしれないけれど
いつか日本国民だけで生産が追い付かなくなったら
移民が大量に流れ込んでくるかもしれない
そうなったときに同じことが起こらないとは言い切れない
移民に対して不満を持った層が また悲劇を繰り返すかもしれない
宗教が 肌の色が 髪の色が 違うだけで 差別をしてしまうかもしれない

世界恐慌が起こって世界全体が貧しくなった時代に
歴史的に商業の中心を担ってきたユダヤ人は比較的裕福で
それが世論の反感を買い そこに出てきたのがヒトラー
民意はヒトラーを選び
ユダヤ人はホロコーストの道を歩まざるを得なくなりました

上手く書けないけど
日本もいつか同じことを考えなきゃいけないような気がします
一時の感情・プロパガンダに流されて 
大事なものを失わないように

大切なのは問題そのものと向き合うことだと
タブー視せずにどうやって乗り越えるかを
社会全体で考えることだと中谷さんは言っていました

徴用工の話に少し移りますが、きっと日本も韓国も
お互いに関係をタブー視している部分があると思います
韓国では広場で日本人を褒めるようなスピーチを行って
暴力沙汰になるような事件があったそうです
日本も韓国と言われるとあまりいいイメージを思い浮かべない人が
一定数いると思います 正直僕もそうでした
なんとなく関わりたくないと思っていました

でも このヒッチハイクを通じて出会った韓国人は
みんないい人たちで メディアを通じて知ったそのイメージとは
かけ離れたものでした。 また後の記事で書きます
実際に向き合ってみると なんてことのない いい人たちです
僕が抽出していたのは 取り上げられた悪い一部のイメージでした
いい人だってたくさんいます その逆も然りなんだろうけど

きっと 悪いイメージを持っていても
向き合うことからすべてが始まるんだろうと
そう思わせてくれた博物館でした
偏った一方のイメージで物事を判断するのは良くないね

ではまた!








この旅 最大の山となりそうな
ベルリン→クラクフの移動へと向かいます


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そして出発の朝
ホストの方が道中にと
梨とサンドイッチをくれました ありがとう

いざヒッチハイクをする場所を探しに行きます
ひたすら歩く 歩く 歩き倒す
高速のある道の手前を目指します
なにやら工業地帯みたいなところでした
しかも一番早く着ける道が工事中で
遠回りするために 歩く 歩く

一時間くらい歩いたでしょうか
ヒッチハイクのできそうな道路につきました
しかし微妙 2車線だけど
車の止まるスペースがあるかないか。。。
という感じ 危なそうだったので最寄りのガソスタに向かいます

この時点で 空気が悪いせいか大分体の具合が悪く
吐き気とともに歩き回ってました しんどい
ガソスタについて 何か口に入れて気を紛らわせようと
もらった梨にかぶりつきます 
梨ってこんなにうまかったっけ
億泰ばりに梨をむしゃぼり いざ聞き込み開始

06345634

20分ほど聞き込みをしましたが
どうやらここは 地元の人しか利用しない場所だそう
要するに誰もポーランドにはいかない
とかつてヒッチハイクで旅をしていたおじさんが
教えてくれました
彼曰く 俺がやろうとしたちょっと危ない道路で
ヒッチハイクしなよ!そこがベストやで!とのこと
マジかよ… でも地元推しならやります

というわけで場所を変えてヒッチ再開
大分気分は良くなりましたがまだ微妙にうふぅっ
って感じでした それでも手を振り続けます
1時間くらい経ちますが なかなかつかまりません
お腹もすいたので もらったサンドイッチを座って食べていると
一人の散歩中?の男性に手を振られました
なんだろう と思いつつ手を振り返すと
近くの茂みに立ちションし始めました
お前は飯食ってる人間に手を振って
ションベンをする許可をもらうのかと
なぜそこで手を振って存在をアピールするのかと
色々と謎に思いつつ お昼ご飯を済ませます

さぁ やるかぁ~~と目的地の書いた段ボールを
掲げて数秒 ほんとに数秒後 
一台の車が止まってくれました
マジであと少し食べ終わるの遅かったら
止まらなかったんじゃないかっていうくらい
完璧なタイミングでした

4人既に乗車していた車に乗り込み
いつも通り自己紹介やら 目的地やらを伝えます
僕が段ボールに書いていた目的地は
Cottbusというドイツとポーランドの
間当たりの街でした
いきなりKrakowと書いても
行く人なんていないだろうと思っていたので
普通はこんな感じでいつもヒッチハイクしています
基本的に目的地に近づけば近づくほど
行きたいところにダイレクトにいくドライバーが多くなるので

「Cottbusを経由してKrakowまで行きたいんだ」
と伝えると
「お前まじかよ!?めっちゃラッキーだな、俺らも今からKrakow行くんだ」
と。 


は?


え?ちょっと待ってくれ うん? お?
マジでびっくりした
オーマイゴッドって素で出たほどに

今日のヒッチ、終了

前もニュルンベルクに向かうときこんなことありましたが
あれはドイツ国内だし 
出発点がフランクフルト 大きな都市
ニュルンベルクも比較的大きな都市なので
まぁ納得がいくのですが

まさかKrakowまで行くとは、、、この4人は友達で
休みの都合を合わせてKrakowまで旅行に行く途中だったそうです
しかもあと数秒飯を終わらせるのが遅れていたら乗れていなかった
なんたる奇跡。

しかもみんな気さくで
ドイツ語だけで話しているときは
もちろん混ざれませんでしたが
英語でもいろいろ話してくれました
「今まで店から盗んだものの総額当てゲーム」
みたいな感じで各々自白しあってました
確か200€越してたと思います 盗みすぎちゃう?きみら
作ってきていた弁当もご馳走になりました
あとなんか僕はよく知らなかったんですが
万引き家族って映画が今フランスドイツではポピュラーでした
それに倣って 俺たち今Takumiのこと誘拐してるよ
誘拐家族だな みたいな感じで冗談を言い合ってました
こんな優しい誘拐ないよ

この車 ドライバーさんと助手席に乗っていた方が
女性同士の夫婦だったんですが
夫の方がかっこよかった 多分俺より男らしかった
色々聞けばよかったな~と思うことはありましたが
なんとなくそんな雰囲気ではなく 楽しいまま終わりました

が しかし
もちろんただ楽しいまま終わりません
ポーランドの国境を超えた後
道中ガソリンの補給のため ガソスタに寄ったのですが
抜いた鍵が回らない。
つまりエンジンがかからないのです
僕含め全員でトライしましたがかからず。
JAFみたいなところに電話してきてもらうことに。
とりあえずビールをスタンドで買って飲みます
お気楽 でもこういう感じで
大変な状況をいかに楽しくするかって
結構大事だよね 要は捉え方ですね

多分1時間半くらい 結構待ちました
JAFの人が来てくれました ISUZUの車に乗って

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今度は日本の車がドイツ人の運転する車を拾うのです
なんとなく縁を感じるこの出来事
本来5人乗りのところを 6人キツキツになりつつ乗り
車を移動し 整備工場みたいなところまで行きました
なんでも 鍵穴に問題があるとのこと
結構直すのに時間がかかるとのことで
待ちます ひたすら待ちます
その間トランプしたりして待っていました
なんかルール複雑すぎて俺は見ているだけだったけれども

そんなこんなで彼らと話していて
「ずっと一人で旅しててさみしくないの?」
と聞かれました 
考えたこともなかった
寂しいなんて感情に捉われる間もないほど
楽しくて 大変で 新しいことばかりだったから
でもそうやって聞かれると
日本にいたときに友達と遊んだ記憶が蘇ってきます
そういえば トルコに行く前に
友達とこんな感じで草津までドライブでいったなぁ
みんな元気にしてるかなぁ

きっと今僕を乗せてくれたこの人たちは
僕が友達とドライブ旅行に行ったように
気の知れた仲間達と忙しい日々の合間を縫って
楽しんでいる最中なんだろうな
乗せてくれたとはいえ 所詮は一瞬の出会い
ずっと培ってきた間柄の中に入るのは難しいです
でも 僕の目に楽しそうに映る
そんな彼らの姿を見ているだけで
不思議と笑顔になれました

でもやっぱり
帰ったらまたみんなとドライブに行こう

ちょっぴり郷愁に浸りつつ
2時間くらい経って
鍵も完璧に直ったとのことで
時計は既に23時半を回っていましたが
目的地へと向かいます

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整備工場にて。ポーランドに入って初めての地が自動車整備工場。

1時間しないくらいの移動で
クラクフへと到着 
12時間ほど時間を共にした彼らに別れを告げ
ホステルへと向かいます ばいばい

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少し歩くと教会がお出迎え

ポーランド 寒い クッソ寒い
これは野宿したら死ぬ 雪も積もってた

駆け足になりつつホステルへと向かいます
着いたけど閉まってるやないか
電話をかけて開けてもらう
今日も何とか寝床にありつけました
同室の人たちが寝ている中をそろりそろりと
音を立てないように注意しつつ
この日は死んだように眠りました

今日はここまでです!
次回は負の遺産、アウシュビッツビルケナウと
ポーランドでの雪山登山を書こうと思います

読んでいただきありがとうございました!

無事ベルリンに到着し
ホストも見つけ 安心して眠りにつけた
寝たのは家の床で寝袋だったけどね

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ドレスデンからベルリンのルート

初日のベルリン滞在の際
ポツダムがオススメだよと友人から
助言を頂いたのでポツダムへと向かいました
日本人にとっては終戦の地ですね
ガラガラでした さすがオフシーズン

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普通に人いないし静かで綺麗なんだけど
晴れてればなぁと思うことが非常に多い


この後はたまたまベルリンに来ていた友人に会い
ホスト宅へと向かいました

前回の記事でもちょこっと書きましたが
この方4つの職をこなすスーパーウーマン
音楽制作 演劇 学術論文の執筆
ベルリンのツアーガイド…
今までもマルチに働く人には会ってきましたが
ここまで多種多様な仕事を持つ人は初めてでした

僕はこの人に一つ聞きたいことと言うか
教えてもらいたいことがありました
それは頭の切り替え方
僕は一つのことに集中するのが苦手で
逆に同時に複数進行でやるほうが好きな人です
悪く言えば器用貧乏なんですよね

そして僕の目の前には
複数の仕事をこなして生計を成り立たせている人がいます
これは聞くしかないでしょう

4つの仕事を抱えて働くってどう?
と軽く聞いてみました
彼女は少し考えて 難しい顔をしていたので
僕が器用貧乏で悩んでいることを伝えると
彼女は1つの仕事に取り組んでいるとき
他の仕事のことは全く考えないそうです
要するに切り替えのうまくできる人
そうでもなければ4つも仕事掛け持ちできないか

そのときそのとき
自分がやっていることだけを考える
論文を書いているときは
音楽のことは考えないし
ベッドの上でゆっくりしているときは
本を読んだり 音楽を聴いたり
その瞬間瞬間 目の前にあることに集中する
俺にはできないなぁ。少なくとも今は
文字だけ見ると簡単に見えるかもしれないけれど
いろいろしがらみをもって生きている
俺たちにはそんなに簡単なもんでもないなぁと思う

でも ヒッチハイクで旅して
目の前のことに集中することが増えた
というか 集中せざるを得なかった
寝るところは?食べ物は?
次の目的地は?どこで車を捕まえるか?
時間通りに帰れるか?
そんなことで頭が一杯だった

思えば この旅に出ようと決意したのは
そんな時間を過ごしたいと思ったからかもしれない
サークルの業務 同窓会の準備
留学の英語のテストの準備…
色々なものに追われすぎていて
疲れ切っていた時期がありました
自由になりたいなーって強く望んでいて
留学に行けば 海の外には
誰にも縛られない環境が待っているかなと
正直トルコの大学にいるときはそうでもなかったけれど
やっぱりこうしてフラフラして
ギリギリで消耗しまくっているくらいが
一番楽しいかなーと思う

自分が好きなことを見つけることができる
それって素晴らしいことだと思う
自分のことは自分がわかっているようで
案外わからない
好きなこと やってみたいことってたくさんある
もう次はどんな旅にしようかなと
考えている自分もいるし
青年海外協力隊に行きたいと思う自分もいる
英語の先生になって こうして学んだことを
生徒に伝えたいなんて思う自分もいる
ホステルで働いて 自分がしたような出会いを
次は誰かに提供できればなと思うこともある

1つの人生でこんなにたくさんのことを
集中してやるのは無理だと思っていたけれど
現実目の前にそういう人はいました
むしろたくさんやりたいことやって
そうすることでこの人みたいに
キラキラした人になれるのかも

日本ではまだ終身雇用制がメインなことを伝えると
一つの仕事だけなんて無理だと 飽きると
それに自分のアイデンティティを仕事に縛られたくないと
自己紹介なんかで 仕事をよく聞かれる 伝えるのは
国を問わず同じだと思いますが
その仕事が人となりをある程度決めてしまう
でも 私はそうはなりたくないと
自分はたくさんいて そのどれもが自分なんだから

ドイツ語では 自分のそういった
仕事などの領域を泡に例えるそうです
一つの泡に閉じこもるのではなく
たくさんの泡を転々としていく
そうやってたくさんのことを学べるのがヒッチハイクと
彼女は教えてくれました まさにですね

やりたいことは全部やっとけ!と
背中を押されているような気がしました
ありがとう 勇気をもらった

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そんな素敵な出会いを経験し
次なる地 ポーランドはクラクフ(Krakow)へと向かいます

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ご覧通り めちゃめちゃ遠い
くそ長丁場になることは 覚悟のうえで
ヒッチへと向かいます
果たしてうまくいくのか
続きはまた今度

読んでいただきありがとうございました!



観光地がコンパクトにまとまった
ドレスデンを満喫し 見つけたホストの家へ

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バイバイ ドレスデン

ホストの家を探すために練り歩きます
なにやら少し治安の悪そうなところにたどり着きました
やたらと多いペンキの落書き 夜 
なぜか路上に置いてある液晶テレビ
それを物色する人 信号青なのに立ち尽くすおばあさん
でも割ともう見慣れた風景 こういうところは結構多い

そして家にたどり着きました
出迎えてくれたのは電気系統のお仕事をするお兄さん
連絡を取っていた方とは違ったのですが
シェアハウスをしているそうです なるほどね
気さくな方で 料理まで作ってくれました

僕が連絡を取っていた方は大学の講師をしており
まだ仕事中とのこと 地理学の先生だそうです
ほどなくして帰ってきたので 3人で料理を食べます

この講師の方も若いころはよくヒッチハイクをしていたそう
部屋の中にはたくさん紙の地図が貼ってありました
近くのガソスタがオススメとのこと ありがとう
なんとなく僕の経験的に
大学の先生とかってそういうことしないイメージなんですが
色々な人がいます 職業につきまとう固定観念がぶち壊れますね

電気系統兄さんが朝6時!から仕事とのことでもうお休み
ありがとう 料理美味しかったよ

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初の変顔ショット ノリがいい二人でした

そしてこの後この講師の方と二人でお酒を飲みに
ビールをご馳走になりました

何を話したかうろ覚えなんですが
この人が初めてヒッチハイクをしたときの話をしたと思います
本人曰くもうあまり覚えていないとのこと
そうなんです 人間って忘れる生き物
僕自身も何を話したかちゃんと覚えてるわけではありません

今こうやってふらふらしている時間
きっと死ぬまで忘れないと思います
でも「ヒッチハイクをしたこと」は覚えていても
「誰と話して何をしたか」は忘れてしまう
忘れないようにこうやって書き留めたり
写真を取ったりしているけれど 限界があるよね 悲しい

でも ふとしたときに
こうやってあった人たちのことを思い出すときがあります
良く思い浮かぶのが 英語の単語を思い出すとき
「あの人この単語使っててそれで覚えたなぁ」
とか 僕は良くそうやって思い出します
僕の使っている言葉は たくさんの人と出会って
離せるようになった言葉です なんかそうやって考えると素敵

多分 大学の先生とかパイロットとかフリーランスとか
単語一つだけ見ても このヒッチハイクのこと
きっと思い出すんだろうなと思います
かけがえのない時間を生きているんだなぁとしみじみ

帰り道 何気ない話をして帰りました
日本人ベジタリアン説 ああそれ草食系男子ね
逆は肉食系っていうんだよ というと
ニクショク ソウショク と復唱しつつ
初めて覚えた日本語だ と笑いながら言ってくれます
きっとこの人は ベジタリアンとか 
そういう単語を見るたびに僕を思い出すのかな
記憶の片隅に出会ったことが残ってくれているだけで嬉しい

そして次の日の朝
電気系統兄さんはもう起きたときにはおらず
講師の方が朝ご飯を作ってくれました
これから仕事に向かうそう
お互いに背を向けながら各々の場所に向かいます
この日は久しぶりに晴れました


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晴れたといってもこの程度 たまに入る日光が嬉しい

昨日オススメしてくれたガソスタへ向かいます
3~40分くらいして車を見つけました
ガソスタでやると段違いに早い

リアキャリーを装着した車 
何やら机を運んでいる様子
なんでも官公庁セール?みたいなので割引されていて
買ってきたのだそう

この人とも英語でコミュニケーションを取るのが難しく
あまり話せなかったのですが
乗っていたワーゲンが非常に乗り心地がいいことを伝えると
嬉しそうにしていました

なんでも息子がヒッチハイクをしていたらしく
多分僕に親近感を抱いたのでしょうか
拾ってくれました
こうやって広まっていくのもいいね

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近くの高速のガソスタまで。 ありがとう!


そしてまたヒッチハイク開始
しかしなぜだろう ここの人たち冷たい
会話すらしてもらえず遠ざけられることもしばしば
ガソスタだと早いけれど 路上でやるのと違って
ドライバーの感情がダイレクトに伝わるので
心的ダメージが割と大きいです

1時間ほど経ったでしょうか
一度声をかけて断られた車がクラクションを
僕に向かって鳴らします

「ちょっと寄り道してからならベルリン行くけど 乗るか?」
と声をかけてくれました もちろん!
「みんな君のこと冷たくあしらうから」と
僕の様子を見ていて拾ってくれた様子
涙ちょちょ切れるよ、、、

この方のお仕事は再生可能エネルギー関係とのこと
身近なもので言えばソーラーパネル
実際この日も農場にソーラーパネルを備え付けるための
下見のために小さな町に寄っていました

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こんな感じのところ 日本人で初めてここに来たの俺じゃね?
と言うと そりゃそうだとのこと そりゃそうだ


一時間ほど車の中で待ちます
多分寝てました 正確に言うと間違いなく寝てました

そしてベルリンへ 別れの間際
日本人の写真撮るときにやるポーズやってくれよ!
と言われん?なんのことだ??とはてなマークでしたが
あ、これか これって日本独特なのね


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荒れ狂う前髪

そしてつきましたベルリン
ホストはもう例のごとく見つけてあったので
家へと向かいます しかし腹減って死にそう
WiFiキャッチもかねてピザ食べる

ホストの家に到着し 荷物を下ろす
なんと4つの仕事を掛け持ちするスーパーウーマン
コーヒーを頂き ベルリンの街へ繰り出します 
外はもう暗い

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西と東の検問所 Checkpoint Charlie
ビル街の間にいきなりぽつーんと出てきます
少しがっかり

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夜に行ったユダヤ人虐殺追悼のためのお墓
割と観光客はいましたがものものしい雰囲気でした

そんなこんなでベルリン初日は終了
次の日にもう出発してポーランドに行こうと思っていたのですが
疲れていたし ホスト曰くまだまだ見るところがあるそう
仕事のうちの一つとしてツアーガイドをやっているのだから
間違いない ということで延泊しました

次回はベルリンからポーランド・クラクフまで
今回もありがとうございました!

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